偶像の黄昏 「ニーチェ・人物 ・1900年没」

オーヴァーベックとガストはニーチェの未発表作品の扱いについて相談しあった。

1889年1月にはすでに印刷・製本されていた『偶像の黄昏』を刊行、2月には『ニーチェ対ヴァーグナー』の私家版50部を注文する。

またオーヴァーベックとガストはその過激な内容のために『アンチクリスト』と『この人を見よ』の出版を見合わせた。

ニーチェの受容と認知が最初の波を迎えようとしていた。

1893年、エリーザベトが帰国。パラグアイでの「ドイツ的」コロニー経営に失敗した夫が自殺したためである。

彼女はニーチェの著作を読み、かつ研究して徐々に原稿そのものや出版に関して支配力を振るうようになった。

その結果オーヴァーベックは追い払われ、ガストはエリーザベトに従うことを選んだ。

1897年にフランツィスカが亡くなったのち兄妹はヴァイマールへ移り住み、エリーザベトはニーチェの面倒をみながら、訪ねてくる人々に、もはや意思の疎通ができない兄と面会する許可を与えていた。
update:2010年03月06日